(↑さっきの天体での影響のとこ、柔軟宮が異様に多いことと月が魚座ってとこが強烈なのかもと思って描いた絵。笑)
新カテゴリ追加(笑)
最近『より本音で』というインスピレーションが強く来る。
そして何やら書きたい衝動も強い。
ので、書きたいこと書いてくよん。
前チラッと書いたけど、毒舌(言葉によるコミュニケーション)について思うこと。
他人の言葉を何でも真に受けたり、またはねじ曲がった解釈をしたりして
『自分は傷つきやすい(繊細な)性質だ』
って決めてる人、多いですよね。
無意識でも有意識でも。
私のメンターの一人に名倉正さんというかたがいらっしゃるのですが、
そのかたがマスターコーチを務める『パーソナルシード(個の種)』という
帝王学に基づいた『人心掌握術』と呼ばれるコミュニケーションツールがあります。
私はそれを学び、また個人的にも色々研究を重ねて『人のこと』がより正確に理解できるようになってきました。
(名倉さんはYouTubeチャンネルでもライブ等でパーソナルシードについて発信されていらっしゃいますので、ご興味がお有りのかたは覗いてみてください。)
ですので、『言葉の解釈』や『表現の仕方』についてはある程度性質のパターンや特徴があることは承知の上です。
その上で、持論を書きます。
自称『繊細な人』は、単純に他者の発言を『真に受け過ぎ』です。
『上司にこういう評価をされたから、悲しい』とか
『小さい時、親に認めてもらえなかったから』/『親の愛情を感じられなかったから』とか
『配偶者(恋人)にダメ出しされたから、自分は男性(女性)として魅力がないんだ』とか
『テストの成績が悪かったから、
”いい高校(中学・大学)”
には行けない』
とか
『偏差値の低い大学出だから、”一流企業”には入れない』とか
『一流企業に入れなかったから、自分は彼(彼女)より劣っている(価値がない)』とか
『失業したから、自分はだめな人間だ』とか
『こんなダメダメな自分は、
”社会の底辺”
だ』
とか
etc.
は?
寝言は寝て言え。
『人間の価値(真価)』は
『外野からの評価』で決まるのか。
人の価値は、それだけのものか。
その程度のものか。
薄っぺらい価値だな。
だってそれ、『評価してくれる他人』がいないと成り立たないでしょう。
誰も『評価してくれない』ようになったら、あなたの価値は無くなる。
死ぬの?
たったそれだけの事で?
蛆虫以下の、くだらない人生でしたね(笑)
”毒舌”というのが『どの言語』を指すのか、私には判らない。
何故かというとどんなに愛ある言葉でも、捉えようによっては『毒』になり得るからだ。
軽率だ。簡単に考えすぎている。
その人の真価を見ようとも理解しようともしない。
何の努力もしないで、他人を批判するな。
自分はどうだ?
『それが当たり前の風潮だから』
『自分もされて当然だから(いつもされているから)』
『自分も他人を評価する』
か?
浅慮なことこの上ない判断軸なのに、自分は『繊細で傷つきやすい性質』か。
冗談なら笑えることを言ってほしいものです。
私の『言葉の意味(真価)』が、
理解できるか。
私は、『他者に不利益を及ぼす発言』はしない。
私は、『愛に基づいた真実』しか口にしない。
私の表現は、『本質そのもの』だ。
理解できなくてもいい。
だが、理解できていないと解っているのなら、軽率なジャッジは慎むほうが身の為だ。
片面(あるいは一面)しか見ずに判断を下す人は、
自身の浅慮さや稚拙さを露呈しているようなものだ。
いくら本心を気取られまいとしたところで、
言葉選び一つで本質を掴まれてしまう。
私の目にはむしろ自ら提示しているようにさえ見える。
それから
毒………という表現を使う人ほど『毒』を撒き散らしていると私は感じる。
(自分自身で言う場合には問題無いが、他者を批判する場合。)
他者を批判している時点で、その人の本質(真価・真意)が見えていないことになる。
そんなあなたのその批判は、『毒』ではないのでしょうか。
『優しい言葉遣い』『柔らかい比喩表現』『ハッキリと言わないでぼかす』から、
”毒舌ではない”と?
私のように折に触れて『蛆虫』とか『豚共が』とか罵るのは確かに自分でもストレートに毒舌だなと思います。笑
が、
果たして
『ハッキリと言わないから大丈夫』
なのでしょうか。
ハッキリと言わない分、人によっては真意を理解したときのダメージが大きくなると私は感じますが。
また、陰口等もそうですね。
何故表向きいい顔をするのでしょうか。
『嫌われたくない』
『波風を立てたくない』
『直接言う勇気はない』
などの理由でしょうか。
くだらねぇな。ほんと。笑
だったら最初から言うなw
『ストレス発散のため』
『共感してほしいから』
『正面切って喧嘩は嫌だけど、我慢しておくと毒だから』
ですか?笑
よく耳にする『言い訳』ですね。
ただこれは量子力学などの勉強を進めると理解できてくることですが、
『ストレス発散のため』にあなたは『ストレスを溜めて』いますよ。
『共感してほしい』と誰かの悪口を言うたびに
『自尊心を下げ』、あなたの『本心に寄り添ってくれる共感者』は減っていきます。
『我慢しておくと毒だから』と思っての行動によって、
あなたの体や精神や思考にはどんどん『毒素が溜まって』いきます。
真逆のことしてるんですよね。
それにすら気づかないで無限ループして、結局行き着く先は慣れ親しんだ『何もできない自分』なんですよね。笑
いや、笑えねぇわ。←
『悲劇のヒロインやヒーロー』を演じれば
『愛する人が構ってくれる』。
『弱い自分』でいることが『愛されること』。
『出る杭は打たれる』から『本音は言えない』。
こういうマイルールみたいなのも、みんな持ってんでしょ?
それも真逆に作用しやすいからルール改正したほうがいいよ。笑
なんか長々書いて私が疲れてきたので一旦この辺で切りますが、
要は『光』か『闇』、『1』か『0』、『善』か『悪』という
『ゼロヒャク思考』で生きてるから
いつまで経っても他者の言葉に一喜一憂して振り回されるし、
自分軸がブレブレになるし、
自尊心も育たないし、
思考してもいつも同じところをぐるぐるしてるだけの、
『広い視野』『新しい視点』での考え方ができない。
だから
『思考=悩むだけ』
という謎な式が出来上がって、生産性が無いまま悩んで終わる。
それじゃ意味無い。むしろ逆効果。
悩んで精神病むぐらいなら何も考えるな、って話になってくる。笑
それでは本末転倒で何が言いたいかわからなくなってくる。
私が言いたいのは『見方』は一つではないということ。
パーソナルシードでも四柱推命でもホロスコープでも、
何でも学んでもっと色々吸収して、いろんな世界と見方を知って
視野と視点の拡大を図るのも一つの手段としてかなり有効。
『考えること=悩むこと』ではなくなって、
『考えること=生産性を高めること』になっていく。
脳の情報処理が適切に行われますからね。
悲観したり批判したりするよりはるかに健全で建設的なことでしょう。
この記事を読んでいるかたに、上記の傾向が強いならぜひお試しあれ。笑
以上。
では。
P.S.
そもそも人間は『完璧に』生きることなんて無理です。
100%善人も100%悪人も存在しません。
半々ですよ。善悪や長所短所の割合なんて全員。笑
それが本質です。
少なくとも、私が行き着いた真理に対する答えです。